フゲンゾウ
日本人はサクラ、サクラといえば日本人という程、日本人とサクラは一体となっている。
「桜が創った『日本』」(佐藤俊樹 岩波新書)には「大月桂月の『筆艸』で、「日本国民と桜」の一節はこう語る。桜花は、実に日本国民の花なり。桜花の特質を云えば、その色、淡紅にして、いや味無く、毒々しからず。ぱっとにわかに開きて、またぱっと潔く散る。群を成すに適して、満山皆花の壮観を呈出す。日本国民の特質を云えば、淡白にして、思切よく、生死に未練なく、個人的ならず、団体として、大いに強し。桜の花神、化して、日本国民となれるか。日本国民の魂出でて、桜の花となれるか。桜花は、日本国民の表象なり。古来桜花を詠じたる詩歌、すこぶる多けれども、最もよく人口に膾炙せるは、本居宣長の 敷島の大和心を人問はば、朝日ににほふ山桜花 …… 桜にも種類多けれども、桜の中の桜というべきは、山桜なり。吉野山の桜、これなり。桜川の桜、これなり。桂月は『吉野山の桜』=ヤマザクラを桜らしい桜とする。」と述べている。
◎フゲンゾウの葉化した二本の雌しべ


私自身もサクラを知るようになって、山の中に点々と咲くヤマザクラの風情を美しく感じるようになった。公園で花見の対象になっている一斉に咲き誇っているソメイヨシノを見ると、なぜか興覚めの感さえしてしまう。その理由は自分でははっきりしない。でも桂月のいうように日本国民の生き様をサクラと同じように考える発想は、識らず知らずの社会的な教育である無意識的教授・無意識的学習によるもので、私自身もその影響を受けて学んでしまった結果かも知れないとも思うのである。
ところで、日本にはどのくらいのサクラがあるのか。「桜」(勝木俊雄 岩波新書)には「生物学で用いられている種の概念で分類すると、サクラ類は世界におよそ百種、日本には十種しかない。日本に分布しているサクラ類の種は、ヤマザクラ、オオシマザクラ、カスミザクラ、オオヤマザクラ、マメザクラ、タカネザクラ、チョウジザクラ、エドヒガン、ミヤマザクラ、カンヒザクラである。ただし、野生のカンヒザクラが見られるのは、沖縄県の石垣島の一部だけである。『荒川の寒緋桜自生地』として国の天然記念物に指定されている。しかし、このカンヒザクラは本当に昔から自生しているのか、それとも海外から持ち込まれたものが野生化したものか、はっきりしない。野生化したものと考えると、日本に分布するサクラ類は九種となる。」と記されている。
数年前からサクラについて学び始めたばかりなので、知っているのはヤマザクラ、オオシマザクラ、オオヤマザクラ、エドヒガンとカンヒザクラだけである。他のものも奥羽山脈の川筋などで春になって見かけているかも知れないが、全く同定できていない。
ところでサクラにはサトザクラといわれる、多くはヤエザクラである栽培種があるが、オオシマザクラとのかけ合わせによるものが多いようだ。
前述の本には、「オオシマザクラは、本来は伊豆諸島だけに分布していたと思われる種である。伊豆半島や房総半島の南部にも野生個体が見られるが、人が持ち込んだものとも考えられており、はっきりしない。半島ではヤマザクラと交雑した個体が多く見られるので、純粋なオオシマザクラは伊豆諸島だけに見られると考えた方がよい。したがって、オオシマザクラは平安時代の都の人々の目に触れなかったと思われる。ところが鎌倉時代になると、鎌倉が京都に次ぐ都市となり、多くの人が訪れるようになった。鎌倉時代にも花見の記録が残っているので、鎌倉で付近に自生しているオオシマザクラが栽培されていたことは確実であろう。さらに、鎌倉で栽培されていたオオシマザクラが京都に持ち込まれたことも容易に想像される。文献によると、サトザクラと思われるサクラが現れたのは室町時代であり、“普賢象”や“御車返”の名称は鎌倉に由来する。おそらく京都や鎌倉で栽培されたオオシマザクラの中から観賞用のサトザクラが生まれたのであろう。」と記されている。
オオシマザクラの自生していた伊豆大島周辺は風雨などの環境変化が厳しいことから、他のサクラに較べて変異しやすい特徴を持っている。しかも香りもするサクラである。この香りがする特徴から桜餅や桜湯の原料として、オオシマザクラの葉が使用されている。最近になって、私はサクラの花を見かけると、必ず花の香りを嗅ぐようになってきた。その成分はクマリンの香りである。
因みに名古屋市港区にある戸田川緑地には、香りがするサクラがある。例えばジョウニオイ(上匂)やセンリコウ(千里香)などであるが、オオシマザクラの匂いとは違った香りがする。香りもクマリンに色々な香りが混ざって作られているのではなかろうか。
◎フゲンゾウの花が満開



戸田川緑地では四月を過ぎると、サトザクラの仲間が咲き出すようになる。その前にカンヒザクラ、シナノミザクラ、トウカイザクラなどの早咲きのサクラが咲き始める。その後、横浜緋桜、エドヒガン、コヒガン等が咲き、その後ソメイヨシノ、カンザクラ、陽光、オカメなどが咲き終わる頃になると、サトザクラの仲間が咲き始める。三月下旬から四月上旬頃である。
サトザクラには色々な種類があるが、フゲンゾウと雰囲気が似ているのは、松月、一葉、雨宿、白妙等である。私は未だ花を見ただけで、どの品種かを同定できるところまでには至っていないので、ただ白っぽいサクラというだけでの印象である。
ウィキペディアには「フゲンゾウバラ科サクラ属の植物。オオシマザクラを基に生まれたサトザクラ群のサクラで日本原産の栽培品種のヤエザクラ。名前の由来は、花の中央から出ている雌しべの先端が曲がっており普賢菩薩の乗る白象の鼻に似ているため。別名はフゲンドウ(普賢堂)もしくはシロフゲン(白普賢)。荒川堤で栽培されていたサトザクラの一つ。樹高は高木で、樹形は傘状。花は八重咲きの大輪で花弁は淡紅色。東京の花期は4月下旬。開花が進むほど花弁が白くなっていき最盛期を過ぎると花の中心部が赤く染まっていく。命名の由来となった中央から2本出ている雌しべは正常な柱頭と花柱ではなく細い葉のように葉化していて生殖能力を失っており、結実できないため接ぎ木や挿し木でないと繁殖ができない。このように雌しべが葉化した似た品種にイチヨウとショウゲツがある。見分け方は、フゲンゾウが葉化雌しべが2本あり、若葉が赤みを帯びていて花と同時に展開すること、イチヨウが葉化雌しべが1本で萼の部分がぎざぎざした鋸刃状になっていないこと、ショウゲツは葉化雌しべが1本のものと2本のものがまちまちであるが、花期が遅いことや樹高が大きくならないこと、若葉が黄緑色で花より遅れて展開することで区別できる。秋には紅く紅葉する。歴史的な文献には、フゲンゾウの名の付くサクラの始まりは神奈川県の鎌倉の普賢菩薩が安置されていたお堂にあったサクラの名木を「普賢堂」と呼んだこと、その白い花を普賢菩薩が乗る白象に見立てて「普賢象」となったことが書かれており、一五五二年に成立した『 塵塚物語』には、室町時代には「普賢象」が名桜として知られていて、京都の千本ゑんま堂の「普賢象」に後小松天皇が感心した事、この「普賢象」の枝が足利義満に献上されたことが記されている。このためサトザクラの中でもかなり古い品種であるとされるが、これらの「普賢象」が現在のフゲンゾウと同一の栽培品種であったかは議論の余地があり、室町時代時点の「普賢象」は特定のオオシマザクラに付けられた名称であり、室町時代以後の京都で現在の品種となった可能性も指摘されている。なお、一七五八年の松岡玄達の『怡顔斎桜品(いがんさいおうひん)』や一八〇三年の桜井雪鮮の『花譜』に描かれた絵図と解説により、江戸時代後期の「普賢象」は現在のフゲンゾウと同一の形態であったことが確認されている。」と記されている。
◎フゲンゾウの花が満開 その2



実際に戸田川緑地で見られるサトザクラの中で、フゲンゾウは綺麗に咲く花の一つではあっても、イチヨウやショウゲツに較べると、少し古い感じがしてしまう。昔からの同一種であるかは疑問に残るものの、今から九百年以上前からのサクラである。前二者のサクラが白くてハナビラも大きく華やかな感じがする。でもフゲンゾウの二つの葉化している雌しべの存在を元にして、今のところ他の似たサクラと区別している。それにしても、こうしたフゲンゾウ、ショウゲツ、イチヨウなどのサトザクラを見ると、サクラの花に魅せられて、長い年月をかけて品種改良や選抜を行い、それを引き継いできた人たちの労力と情熱を感じない訳にはいかないのである。サトザクラは本当に文化遺産そのものなんだなぁと強く思うようになってきたのだった。
(バラ科 サクラ属)
