サカキの花を初めて見かけた!
六月の中旬に長良川の土手にある治水神社に出かけました。長良川沿いでチョウやトンボがいないか確認する他に、エノキやクスノキの大木の様子を見に行くことも目的だったのでした。
この治水神社は、一七五四年の宝暦治水に関わって、昭和十三年に創建された神社です。徳川家重の時代に、お助け普請で薩摩藩の島津家に対して、木曽川、長良川、揖斐川の分流をする工事を行わせたのです。その資金の殆どは、大阪商人からの借金で薩摩藩が賄い、土地の人たちを使って分流工事を行わせお金を落としました。その慣れない土地と気候や重労働などで、薩摩藩の武士たち八十五名が病死や切腹などで相当数が死亡したのです。責任者だった平田靱負は工事終了後、大牧の地で切腹したのでした。遠くの薩摩からの人たちの努力で、分流が行われたものの、現在のような木曽三川が完全に分流されたのは明治になってからなのです。当時の土木工事の技術では、到底分流などできる筈もなく、欧米の土木技術で完成したのでした。
その治水神社の境内に、花を下向きに咲かせる木がありました。昨年も見かけていたのですが、今年も花は咲いていたものの終わりかけている感じでした。その花の咲き方の様子からエゴノキではないかと思ってしまったのです。エゴノキも下向きの花を咲かせる木なのですが、治水神社の木の葉は、厚くて陽を反射する照葉樹林のようだったのです。
●サカキの花



その様子はチャノキやナツツバキ(しゃら)の花を感じさせるような雰囲気がありました。「日本の樹木」(林弥栄編 山と溪谷社)のこれらの木を探してみたら、ツバキ科に入る木たちでした。その中にサカキが含まれていました。その花の写真の様子から、この木はサカキに違いないと判断しました。(ここではツバキ科 サカキ属になっています。)
●サカキの葉



サカキの説明には「山地に自生する。神社にもよく植えられ、枝を神事に使う。高さ約十メートルになる。樹皮は淡灰褐色。葉は互生し、長さ六~十センチの卵状長楕円形で厚くて光沢がある。ふちは全縁。六~七月、葉脈に直径約一・五センチの白い花を下向きに一~四個開く。花弁は五個。果実は直径四~八ミリの球形で黒く熟す。用途は庭木、木具材。分布は本(関東地方南部以西)、四、九、沖、アジア島南部。常緑高木。」と記されていました。
●サカキの幹



勤めていた天童の短大に、熊野神社の宮司だった同僚がいます。先日電話で話した時に、「起工式などの神事で使うサカキは熊野神社に生えているのですか。」と尋ねると、「熊野神社内にはサカキは生えていない。サカキは栃木県が北限で、これまで何度か植樹や鉢に植えて育てようとしたが、全て枯れてしまった。」と話してくれたのです。「どうやってサカキを手に入れていたのですか。」と尋ねると、「仕方なく花屋で手に入れていたが、神事に使う手ごろなサカキはなかなか手に入らない。そこで仕方なく、代用としてカシの葉を使ったことがあったが、神明社の宮司から、そんなまがい物を使うなんてと言われたことがあって使用しなくなった。北海道ではマツの枝をサカキの代用としているとも聞いている。」と話してくれました。
紀伊の熊野三社から勧請して、天童の熊野神社が造営されたと思われるので、その神事に使うサカキが、全国どこにでもある訳ではないと思われます。その場合には代用でも仕方ないと思うのですが、それを許さない風潮がまだあることに驚いてしまったのでした。
(モッコク科 サカキ属)